タッチフットボールチーム・奈良マスケッターズ
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マスケット通信 表紙画像コレクション1998〜2001

今までマスケッターズのインデックスに使った画像を、一覧表にしてみました。
2001/11
「赤き戦士達〜平城宮跡は俺たちのバトルフィールド〜」
我がチームは、平城宮跡無くしては語れない。これほど広大で使い放題の天然芝グランドはない。このグランドがあったからこそ、ここまで成長できたのだ。ただ1つの不満は溝。
オリンパスのキャメディアウルトラズームは10倍ズームの
おかげでかなり大きくて迫力の画像が撮れる様になる。
M40御大のプロ並みのテクニックで撮って頂いた素材が
ふんだんに使用されている事は今更言うまでもない。
副題はかなり恥ずかしいがつけてみた。
2001/10
「ハドル」
秋季リーグでのハドルの様子。多分、M23が撮ってくれたのだろうが、妙にM03がでかく見えて、掲示板に「デカ女ことM03」との書き込みがあった。
着実に発売部数を伸ばしてきた奈良の情報誌「ぱーぷる」2001年9月号にメンバー募集を掲載依頼した結果、数名からアクセスがあり、M53、M77が入部。
時を同じくして、M03もHPを通じて入部。
この頃、何故か各方面から部員多数入部。
2001/09
2001/09
「マスケットレッド」
この夏にマスケットレッドに染められたニューユニフォームが完成。リーグ戦の様子もダイジェストで取り入れている。
2001/05
2001/01/01
エニイ ギブン ヨンデー」
作品名 エニイギブンヨンデー
原 題 ANY GIVEN YONDAY
配給会社 日本マスケッターズ映画部
上映時間 151mins.

公開期間

2001 1/1〜
監 督 マスケット99・ストーン
脚 本 マスケット99・ストーン
キャスト マサ・キノピターノ
キヨロン・ナカアス
マスケッターズは連敗のため、どん底状態にあった…。人生の全てをタッチフットに賭けたヘッドコーチ、マサ・キノピターノ(マスケット90)は、頑なに古いスタイルに固執し続ける。しかし、タッチフットを賭ける道具としか考えていない女性オーナー(マスケット99)は、観客を呼べないキノピターノを眼の敵に。やがてチームにも亀裂が生じていく…。それでも選手権進出をかける大事な試合がやって来た。運命のホイッスルが鳴ろうとしているとき、キノピターノがとった行動とは・・・?
2000/11
2000/11
「秋空のもと」
確か、アロハカップに向けて練習していた頃だろう。
青空があまりに美しいので、表紙にしてみた。
写っている人数+M40御大(当時M64)くらいしか来ていなかった。本当にこの頃は部員がいない、こない、入らず、どこかいきづまっていた。
ちなみに、このあと、M99は左肩脱臼。
2000
「グラウンドの風〜木下CDデビュー〜」
発売と同時にすごい話題になった平城宮跡での練習時に体
一杯に受ける風を心の感じたままに歌い上げた本物の1枚。
タッチフットに対する情熱が盛り込まれている点にも注目。
カップリングは「木下、パスタに感激」。
ちなみにこのCDは1枚のみ発売。
2000
「FUJIMOTO」
題名はこれ以外にない。
M18のすべてがここに集約された一枚。
困ったまゆげがおちゃめ。
2000
「MAYUGE〜KINOSHITA〜」
線のみでM89を表現。
1999/06
1999/05
「バカ5人衆」
バカ5人衆がスナップショット。
この頃も相変わらず、人数が少なかった。片面でしか練習できない暗中模索の時代であった。
ちなみに一番左は本物のバカ。
1999/03
「奈良テレビ出演」
奈良の情報誌「ぱーぷる」に部員募集の記事が掲載されて、それを見た奈良テレビの「ざっくばらん」のプロデューサーがアクセスしてきて、取材を受ける。
金曜日の夜9時に奈良テレビで放送された際に、部員募集をかけるが、全くの手応えなし。
ちなみにこの時の「ぱーぷる」による新入部員は全くなし。
1998/10
「最初のスナップ」
記念すべきホームページ初画像。
この頃は練習に来る部員は4〜5人程度で、何とか部員増加のためにホームページを作る事を決意。この写真を表紙に貼り付けているだけという単純な作りだった。
確か、5月くらいに今でも使っているパソコン「ソニーのバイオ」を買った。当時は数十万した。この直後からパソコンの値段が急落。約10万円で買える様に。


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